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コラム 名古屋市の心療内科

 精神科−桜ヶ丘メンタルクリニック
  コラム目次  

  1.当クリニックのロゴマークについて(2004年2月)  
  2. 『緩和ケア――精神分析になにができるか』の出版 (2004年3月)  
  3. 『無意識の花人形』の出版 (2005年11月)  
  4. うつ病について  (2009年8月)  




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桜ヶ丘メンタルクリニック

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ソフィアビル2F
(星ヶ丘郵便局すぐ上)
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4.うつ病について

                            
 最近よく「非定型うつ病」とか「新型うつ病」とかいう用語が、マスコミなどでも使われています。たしかに、一昔前の典型的なうつ病とは異なる病像をもち、経過も異なるうつ病が増えてきている印象はあります。本当にうつ病は変わってきたのでしょうか。少なくともわれわれの日々の臨床から言えることは、次の2点です。

 ひとつは、内因性うつ病(従来からのうつ病と本質的に連続性のある典型うつ病)と、非内因性うつ病(たとえば、慢性疲労症候群、過労による神経衰弱、悲哀反応、抑うつ神経症など)の判別がきちんとなされず、うつ病の概念そのものが拡散してしまっていることです。内因性うつ病こそをうつ病と呼ぶならば、非内因性うつ病という言葉自体、本来はおかしな言い方であり、(抑うつ状態を呈している)個別の疾患名で呼ぶべきです。

 ふたつめは、内因性うつ病(典型うつ病)の病像や経過それ自体が、以前とは少し異なってきているということです。いろいろな側面がありますが、これも2つにしぼって申します。

 第一には、軽躁状態で発症したり、軽躁状態のエピソードが経過中に混入する人が多いということです。あくまでもわれわれの印象ですが、比較的若い世代において多いように思われます。そして、うつと躁の入り混じった状態を躁うつ混合状態といいますが、そのような病像をとる人も多いと思います。かつて、クラウスという精神科医は、うつ病者は「役割同一性」に過剰に同一化しようとする、と言いましたが、同一化すべき役割を確固としてもてない、そういう社会となりつつあることも、こうした傾向の生じる一因かなと思います。(役割、課題、目標がはっきりしていれば、たとえそれらが本来苦痛を強いるものであっても、うつ病者はそれに過剰適応してしまおうとして破綻(発症)に至りますが、役割、課題、目標が確固としたものでないと、うつ病の発症時は、「何かしなければいけないんだけれど、何を目標にしたらよいか全く分からない」という状態に陥り、それが軽躁状態を惹起してしまうのではないかと思います。)

 第二には、うつ病を発症後、対人的な不安感を抱きやすくなっている、ということです。このため、会社員を例にとりますと、以前なら発症して休養し、寛解してから職場復帰するときに、慎重な配慮さえあれば一応うまく復帰できていたのですが、近年では、慎重な配慮をしても、どこかで自信を失くしてしまっており、こうなってしまった自分を他人はどう見るんだろうかということを気にしすぎて、職場復帰がなかなかうまくゆかない、という方が増えていると思います。これは、うつ病を発症した人たちは、発症まで、自分というものを他人からの評価(視点)によって築いてきた面が大きい、という事情に拠ると思います。発症によって、自分というもののあやふやさが露呈してしまう、言い換えれば、自己存在の根本にある空虚さが露になってしまう、そのため、他人からどう見られるか、どう評価されるかが過度に気になる、ということだと思います。思春期以降、人間はさまざまな理想を、社会や文化から取り入れて自己の同一性を形成してゆきますが、その自己の同一性の脆さを露呈しやすい社会となってきている、ということが、こうした傾向の要因の一つにあると思います。これは、さきほど述べた、現代社会が同一化すべき役割を確固としてもてない、という事情と軌を一にしていると思われます。規範や理想が確たるものとして存立しえなくなってきている、そういう社会となっているということです。(急いで付け加えておきますが、うつ病発症後、対人的な不安感を抱きやすくなるというのは、昔からあることで、うつ病の症状のひとつだと言ってもよいのですが、近年はその傾向と程度が強くなっているということです。)
 (ちなみに、最近よく、うつ病に不安症状が併発するケースが多い、と言われます。(製薬会社が主導で言われることが多いのですが。)しかし、「人と会いたくない、人ごみにゆくと動悸がする、外を歩くと不安になってしまう」などの症状は、他人を強く意識することによって生じる不安緊張状態であり、うつ病の症状としては言わば二次的な症状であると思います。内因性うつ病の不安・焦燥は、具体的他者を意識してというより、むしろ自己存在の空虚さに直面してしまったような、もっと激しい体験のように見えます。)

 内因性うつ病について、以上2つの変化を述べましたが、こうした変化があってもなお、内因性うつ病はその中核的病理は変わらない、という臨床的な印象があります。それは、うつ病の病的体験は、われわれ精神科医にとっても了解することが困難な、どこかわれわれを近づけさせてくれない体験のように感じられるということです。どんなに患者の内面の奥深くまで理解しようとしても、分かったとはいえない何かがあるのです。たとえば、気分の抑うつがあった場合、非内因性うつ病(非典型うつ病)であれば、その原因やきっかけは、かならず何らかの出来事や記憶に行きつきます。そこに至るまである程度時間を要しても、です。しかし、内因性うつ病の場合、その原因を辿って行っても、最終的に何が原因なのか分からなくなってしまうのです。(ただし、ヒステリー性の否認などによって、その原因を忘却ないし抑圧している場合は、うつ病とは異なります。)その患者自身でも原因の分からない気分変動や不安や孤独感・疎外感などの病的体験がありそうだ、と嗅ぎ分けたとき、われわれは内因性うつ病であると判断します。

 泣くことを例にとってみましょう。「内因性うつ病者は、自分では何が哀しいのか分からない。そのため、泣くことができない」、と言った精神科医がいます。これはその通りであると思います。では、泣けば非うつ病で、泣かなければうつ病であるかというと、そうではありません。実際にうつ病の方で泣く患者もいます。しかし、その場合でも、非内因性うつ病(非典型うつ病)の方と比べて、何かが違うのです。了解しようとしても、われわれには了解できない、強い不安と孤独の体験の存在を感じさせられます。泣いている患者に心を寄せようとしても、われわれには届き得ないところに患者はいるように感じてしまうのです。それに対して、非内因性うつでは、患者が泣いてもその哀しさや寂しさや悔しさは了解でき、心をそっと寄り添わせることはできます。そして、それが、治療的な意味をもってきます。たとえ、その泣くという反応にその人個人の問題が含まれているとしても、まずは受容してあげることが治療的になることが多いと言えます。しかし、内因性うつ病では、受容しようとしても、患者の体験の核はわれわれからは遠ざかってしまう気がします。

 ところで、うつ病の患者さんからよく聞かれることとして、「他の患者さんたちはどのような経過を辿るのか」、「他の患者さんたちはどのような症状をもっているのか」、「他の患者さんたちはどのように療養しているのか」、「他の患者さんたちはどのように職場や家庭生活に復帰してゆくのか」などの質問があります。規範やスタンダードを拠り所にしようとする傾向の強いうつ病患者にとっては、それらは当然聞きたいことであり、われわれとしても、大雑把な経過を話すのは、それはそれで治療的意味と効果があると思っています。(かつては、発症して、治療の中で「うつ病患者」に同一化して療養し、寛解後はふたたび職場や家庭へ過剰適応をはたしながら復帰してゆく人が多かったと思います。)

 しかし、実は、個々の経過も治療の内容も、一律ではありません。家庭環境、職場環境などの環境因も異なれば、生い立ちも異なります。発症に至った状況も異なります。治療の中で、その人にとって、その時点で、その状況で、何を問題にすべきかは異なります。夫婦の問題が背景にあることもあれば、子供の養育の問題や義父母との関係が背景にある場合もあります。職場の特定の人物との関係が問題であったり、恋人のことが絡んでいたり、お金の問題が絡んでいたりと、さまざまです。一般的に、内因性うつ病では、幼少時から親に本当には甘えられず、自分なりの規律やルールを知らず知らず作って、強引にそれらに自分を合わせてきた人が多いという印象ですが、その生き方の根本的なところが、役割への過剰な同一化など、無理のある生き方につながってきた、という面があると思います。こうした生き方の根本的な問題は、対人関係や社会との関わり方のなかにも反映されていると思います。ですから、たとえば、一見苦しんでいるのは職場の問題だけのように見えても、家庭を含めて他の対人関係でも、無理しつつ、あるいは何かを堪えながら生活していることが多いと思います。個々の問題が大事であるというのは、こうした理由によります。しかし、個々の問題から本人自身の洞察が得られても、その生き方の根本的なところを変えてゆくことは、実は相当困難なことです。困難なことなんですが、それでも、何かひとつヒントが得られるだけで、病状はぐんと変わってくることも、ときにはあるのです。(うつ病における認知の問題がよく指摘されますが、認知の問題はあくまで、生き方の根本的な問題から派生する二次的な問題であると思っています。そして、われわれの普段の治療のなかで、とくに認知療法と言わないものの、結果として認知療法的な面接となっていることも、よくあります。)

 以上、現代のうつ病について、非常に大雑把なことを述べました。まとめてみますと、1)現在ではうつ病の概念が拡散していて、非内因性うつ病(これは、うつ状態と言った方が本当はよいでしょう。)も、うつ病の中に含まれてしまっていること、2)内因性うつ病(典型うつ病)もその病像が変化しており、軽躁状態が混入することが多くなり、対人的な不安感を抱く傾向が増していること、3)内因性うつ病の不安感、悲哀感、孤独感などの体験は、まさしくうつ病固有の体験であって、非内因性の「うつ」とは根本的に異なる体験であること、4)(内因性)うつ病の治療は、治療や回復過程についてのオリエンテーションが重要であると同時に、個別の問題にも目を行き届かせることが治療的になること、です。

 さて、このように述べましたものの、その診断には時間がかかったり、ときにはのちに修正したりすることもあります。また、治療もなかなかうまく進まなかったり、一進一退を繰り返すこともあります。しかし、それでも患者さんの回復過程に根気よく付き添い、その同行者となることがわれわれの仕事だと思っています。
                                                     加藤 誠

            
 
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